腹膜炎で入院6日目 歩行訓練と年越し

2011年12月31日、今日は大晦日です。歩行訓練はまた痛みどめを点滴に入れてもらい院内の廊下を少し歩きました。やはりふらついて1人歩きはまだ危険です。しかし、がんばって歩く努力をしないと足の筋力が衰えてしまいます。夜1人で立って歩いてみましたが転んでしまい、点滴が抜けて怒られました。

大晦日ということなので、向かいの看護師休憩所から祝いの声が聞こえます。今年は絶食で、年越しそばもおせちもなしです。そういえばいつ食事が出るんだろうか?

腹膜炎で入院5日目 歩行訓練と便処理

2011年12月30日、今日は誕生日で今年の誕生日は病院の中で迎えます。入院部屋はしばらく個室が続きそうです。今日の予定は歩行訓練です。

午後よりリハビリの担当者が来て、とりあえずは立ちます。ささえられながら部屋の中を数メートル歩きました。痛みがありましたが、なんとか歩くことができました。

それと、食事はまだ絶食でしたが、ストーマ袋の中に便が結構溜まってしまいました。看護師さんを呼んで処理してもらいましたが、将来的には1人で行わなくてはいけません。結構手間が掛かりそうです。

腹膜炎で入院4日目 立てない・・・?

2011年12月29日、午前中にリハビリの担当者が来て今日は午後から立ってみるということです。痛みどめを点滴に入れてもらっての挑戦です。

午後からさっそくリハビリの担当者が来ました。さて、点滴棒にいっぱいの管をよけながら、尿の溜める袋をつるして、痛みを我慢してやっとベットから起き上がれました。立って見ようとすると立つ事ができません。リハビリの担当者にささえられながらやっとの思いで立つ事ができました。ベッドの前に立っただけで本日は終了です。立つだけでこんなに苦労するとは思いませんでした。のどがカラカラです。3日位寝ていただけで痛みもありますが、立てなくなるものなのか・・・

明日は歩いてみる予定とのことです。

腹膜炎で入院3日目 個室病棟へ

2011年12月28日、入院より3日目にして命の危険性がなくなったのかようやく集中治療室より移動です。一般大部屋病棟ではなく個室病棟へ移動のようです。動けないのでベッドのまま移動です。個室へ到着してとりあえず落ち着きました。なかなか広く、バス、トイレ付きです。私は今は使用できませんが・・・

看護師さんに有料テレビカードを買ってきてもらって、久しぶりにテレビを見ました。痛みを忘れられるといいのですが・・・。今日は少し眠れそうです。

腹膜炎で入院2日目

2011年12月27日、腹膜炎で入院より2日目、本日も引き続き腹が激痛です。まだ集中治療で、早朝より気管挿管の影響か痰が大量に出たので、それを看護師に処理を頼むと、医師より痰の検査の指示があるということなので、検査容器に吐き出しました。癌であって転移の可能性の疑いがあるということなのか・・・
さらに不安要素がふくらみましたがとりあえず様子見です。指先にはクリップをはさめて生命監視装置の24時間モニタリングも継続中です。

痛みの為今日も熟睡できそうもありません。

S状結腸憩室炎穿孔が原因で腹膜炎が判明、緊急開腹手術と人工肛門増設で入院へ

2011年12月26日、やはり腹痛が改善しないのでやむを得ず大病院へ外来予約。消化器内科は夕方からなので、その時間になりタクシーで病院に到着しました。消化器内科で熱を測り、造影液を入れてCT検査を行いました。結果は最悪でした。S状結腸の憩室炎の悪化により穿孔して便が漏れ腹膜炎を引き起こしています。緊急開腹手術と人工肛門の増設が必要とのことです。人工肛門に関しては将来的に腸が回復したら戻せるかも知れません。手術ということなので、精神的にもかなり不安がありました。

手術開始時間がきて、パンツ1枚の裸になり手術着に着替えました。麻酔科の先生が来て全身麻酔開始です。注射を打っているうちにすぐに眠ってしまいました。名前を呼ばれて目をさますと手術が無事に終了していました。すぐさま集中治療室行きです。尿管カテーテルと管が数本お腹に入っており、人工肛門もあるようです。意識がしっかりとしてきて、腹の激痛が襲ってきました。手術のキズの痛みのようです。どんなに強力な痛み止めもあまり効果がなく、痛みと共に朝を向えました。

腹痛のため自分で119番通報、救急車で救急病院へ搬送される

12月24日今日はクリスマスイブ。腹痛はまだ直らず、それどころか痛みが増しています。クリスマスケーキだけでなく何も食べたくありません。夜間まで痛みを我慢していましたが、命の不安を感じ、自分で119番通報して救急車を呼びました。たまたま近所に消防署があり、電話をしてから5分以内に到着しました。

救急車に搭乗してから、隊員に症状を話し救急病院へ受け入れ要請をかけました。過去に同じような症状で入院したことがある総合大病院を希望しましたが、混んでいたので受け入れ拒否でした。のちにこの病院へ入院したので、空いていて受け入れ可能ならば、後の病状も変わっていたのかも知れません。年末は特に混雑しているとのことです。とりあえず受け入れ可能な内科の救急病院へ搬送されました。

治療は一時的なもので、点滴と痛み止め座薬でした。先生がしばらくたって来て、原因は腸の憩室炎の疑いがあるので、改善しない場合は外科手術が必要となるそうです。憩室炎は以前入院して内科治療をうけて直りましたが、10年以上経って再発して今度は手術の可能性が高く、殆どは内科治療で改善しますが。残りの少ない確立の手術組の方に入ってしまうのか・・・。不安が残りましが、痛みが少し和らいできたので帰宅してもよいとのことです。家に帰り、少し腹が減ったのでごはんを少量食べてその日は寝ました。

腹痛で胃腸病院で診察

2011年12月22日に突如左下腹部の強い痛みが出て、我慢できずにタクシーで近所のかかりつけの胃腸病院へ向いました。この時は痛みのため何をするのも憂鬱で、このブログも当時に振り返って書いています。さて診断の結果は風邪による大腸炎ではないとのことでした。発熱もあったからです。念のため白血球も調べて異常があれば、電話をするとのことで痛み止め等の薬をもらって帰宅しました。

後日電話が来て、白血球の数値が高く、改善しなければ大病院への受診をすすめられました。それにしても今までに経験したことのない痛み止めもあまりきかない猛烈な痛みです。歩くのがつらく、横になっても痛いし、もちろん睡眠もできません。そのまま本日も朝を迎えました・・・。

オストメイトの歴史

1958年(昭和33年)
○ターンブル先生の指導の下世界初の人工肛門・人工膀胱のケアを専門領域とする認定看護師のETナース誕生(ノーマ・ギル・トンプソン氏)
ノーマ・ギル・トンプソン氏自身もオストメイトでした。彼女以後、世界各地でETナースが誕生しています。日本においては1986年に東京の聖路加国際病院にETスクールが開設されています。

1962年(昭和37年)
○UOA(アメリカオストミー協会発足)

1965年(昭和40年)
○日本国内初の患者会「腸和会(健心友の会)」が愛知県で設立

1969年(昭和44年)
○JOA(社団法人日本オストミー協会)の前身「五療会」が会長を福島裕氏として設立

1974年(昭和49年)
○IOA(国際オストミー協会)設立
○一定の教育を修了し、ストーマ造設術前後の患者を訪問し精神支援を先輩オストメイトが行うオストミービジター制度を日本に導入

1975年(昭和50年)
○世界初のETナースノーマ・ギル・トンプソン氏来日

1976年(昭和51年)
○JOAがIOAへ加盟

1977年(昭和52年)
○オストメイトが厚生年金の障害年金認定の対象となる。

1980年(昭和55年11月)
○初のストーマリハビリテーション講習会
日本大腸肛門病学会が主催する講習会が東京慈恵医科大学において3日間にわたり開催されました。全国規模の講習会と看護師さんのための講習会としては初めてでした。やっとオストメイトのQOLが向上し始めたのがこの頃となっています。

1984年(昭和59年)
○オストメイトが身体障害者福祉法の適用を受け、身体障害者手帳交付開始

1987年(昭和62年)
○東京にて会長の中条俊夫先生による第1回小児ストーマ研究会開催

1989年(平成元年)
○JOA(社団法人日本オストミー協会)が設立され64支部で開始
○ストーマ装具医療費控除認可

1990年(平成2年)
○福祉機器標準化調査研究委員会発足
当時の通産省の依頼を請けストーマ用品標準化のための、委員長を穴澤貞夫先生として、JISの調査研究を開始

1991年(平成3年)
○ストーマ用品の消費税が非課税となる

1993年(平成5年)
○香港にてAOA(アジアオストミー協会)発足

1994年(平成6年)
○アジアで初のWCET(ETの世界的組織)大会が横浜で開催

1995年(平成7年)
○日本ストーマ用品用品協会

1996年(平成8年)
○日本看護協会WOC看護認定看護師教育課程開講

1998年(平成10年)
○千葉にて日本発のオストメイト対応トイレ設置

1999年(平成11年)
○JOA(社団法人日本オストミー協会)が第51回保健文化賞受賞

2000年(平成12年)
○交通バリアフリー法ガイドラインにオストメイト対応トイレ設置が盛り込まれる(後にハートビル法にも取り込まれ、公共施設へのオストメイト対応トイレの普及が促進される)

2003年(平成15年)
○障害認定基準改定によりオストメイト全員の認定が決定

2005年(平成17年)
○UOA(アメリカオストミー協会)が解散
○障害者自立支援法が制定される

2006年(平成18年)
○オストメイト対応トイレが全国で2.300箇所突破

2007年(平成19年)
○日本ストーマリハビリテーション学会がJSSCR(日本ストーマ・排泄リハビリテーション学会)へと名称の変更

2009年(平成21年)
○皮膚・排泄ケア看護師が1,000名を超える